大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成元年(行ツ)155号 判決

東京都世田谷区宮坂三丁目三七番一〇号

上告人

谷口好雄

横浜市港北区篠原北二丁目一一番二〇号

上告人

丸田智規

同港北区新吉田町二四七六番地

上告人

田中義彦

千葉県八千代市大和田新田三四八番地一七

上告人

沓内芳徳

東京都練馬区上石神井二丁目二一番二七号

上告人

平川正信

埼玉県富士見市鶴馬二六〇二番三-四一〇号

上告人

山下進

札幌市中央区宮の森三条七丁目一番一-六〇五号

上告人

藤井政男

右七名訴訟代理人弁護士

矢島惣平

長瀬幸雄

久保博道

東京都世田谷区松原六丁目一三番一〇号

被上告人

北沢税務署長

大谷勉

横浜市神奈川区栄町八番地の六

被上告人

神奈川税務署長

池田弘

東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番九号

被上告人

日本橋税務署長

原重道

同練馬区栄町二三番地

被上告人

練馬税務署長

溝江弘志

埼玉県川越市三光町三六番地の一

被上告人

川越税務署長

宮島正二郎

札幌市中央区北七条西二五丁目

被上告人

札幌西税務署長

山崎市司

右当事者間の東京高等裁判所平成元年(行コ)第一四号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成元年八月二八日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人矢島惣平、長瀬幸雄、久保博道の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨選択、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之 裁判官 草場良八 裁判官島谷六郎は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 藤島昭)

(平成元年(行ツ)第一五五号 上告人 谷口好雄 外六名)

上告代理人矢島惣平、同長瀬幸雄、同久保博道の上告理由

一 原判決は株式会社アサヒトラスト(旧商号丸静商事株式会社――以下アサヒトラストという)の昭和五五年四月一日から同五六年三月三一日までの事業年度の利益処分による総額三〇〇〇万円の役員賞与金(以下本件役員賞与という)につき、昭和五七年六月一八日にアサヒトラストにて取締役会が開催され、そこにおいて上告人ら各役員の個別の支給額が決議され、それによつて、上告人らに所得が発生したと認定判断した。

しかし、この認定判断は、以下のとおり明らかに経験則に反するものであり、上告人本人ら関係当事者の素朴な法感情からしても、また一般の経済観念或いは会社経営上の常識的思考からしても、到底納得し難いものである。

二 まず、後記の原判決における経験則違背の具体的な指摘の前に、本事件の全体的な見方ないし筋とも言うべきものとして、次の点を強調しておきたい。

これはまた、上告人らにおいて、あえて貴裁判所に上告を提起し、そのご判断を求めたいと考えた実質的な理由であり、当事者本人としての原判決に対する素朴なそしてそれ故にこそ常識的な強い疑問でもあつて、この点を是非十分にお酌み取りいただきたい。

1 本件における法律上の争点は、昭和五六年五月二六日の株主総会において決議された総額三〇〇〇万円の本件役員賞与について、それがその後各役員毎に対する会社の個別の債務として確定したか否かという点である。

しかし、この点については、上告人らアサヒトラストの役員各人の立場からこれを見れば、「自分達の賞与をもらう債権が本当に確定したのか」ということである。そして、更には「仮りに確定したのだとしても、会社の為にその債権を放棄しているのに、何故税金を払わなければならないのか」ということである。

2 租税は、単なる法形式ではなく、あくまで実質に着目し、その実質に対応して課税されなければならないものである。

所得税であれば、そこに実質的な意味での所得が存することが不可欠である。

この大規則からすれば、本件においては、上告人ら各役員において実質的な意味での所得があつたとは、到底見れないのである。

要するに、本件役員賞与は、関係証拠から明白なように、仮払金の精算を目的として、会社において、単なる経理処理上の観点から、株主総会において決議したものであり、それを実際に各役員に支給することは当初より予定していなかつたものである。

そして、この経理上の仮払金との精算自体も、会社の業況不振のため、見送つていたものである。

ただ、そのような状況の中で、日本橋税務署より、源泉所得税の支払いに関する指導を受けたことを契機として、第一審以来くり返し主張したような勘違いから、これも形式的に取締役会を開催したこととしてその議事録を作成したものにすぎない。

この間の一連の事情を実質的にみれば、アサヒトラストにおいて右の勘違いと誤信がなければ、このような議事録の作成をしなかつたことは明白である。現に昭和五八年三月には、右役員賞与は支給しないことが決定されているのである。

単なる誤解から会社の一部の者が当該役員の関与しないところで、議事録なるものを作成したとしても(右議事録に対応する取締役会が実際に開催されていないことは後記のとおり)、それでもつて上告人ら役員各人の賞与の額が実質的に確定し、実質的な意味においても上告人ら役員各人の所得が現実に発生したと見るのは、極めて不合理であり、又一般の社会常識からしても理解し難いものであり、関係当事者にすれば、どうしても納得がいかないものである。

3 更に、本件役員賞与は、右のとおり昭和五八年三月に会社の業況不振を理由として、支給しないことが決定されているのであり、上告人ら各役員個人にしてみれば、結局のところこの賞与は自分達の懐には入らなかつたのである。そして、一般にもアサヒトラストのような規模、態様の株式会社にあつては、業況不振を理由として賞与の不支給が、実質的に会社を支配している実質的会社経営者から提案されたような場合、いわば労働者として雇傭された従業員に等しいいわゆる平の各役員にはそれを拒否する自由は実質的には存しない。

本件役員賞与は、結局のところ、各役員個人の意思や意見とかかわりのないところで、会社の仮払金処理という事務処理上の都合でその支給が形式上決議され、同じく会社の都合で(言うなれば会社支配権を持つ経営者の一存で)その不支給が決定されたのである。そして、その間に前記誤信に基づく取締役会議事録の作成があつたにすぎない。

このような一連の事情を全体的に把握するならば、上告人各役員個人においては、実質的な意味での所得など発生していないと見るべきである。

この点、関係当事者としての素朴な法感情からしても、そこに所得がないのに、そこに所得があつたのだから所得税を課すると言われることに、どうしても納得できないのである。

また、上告人ら当事者本人にしてみれば、その素朴な心情からして、このように所得などないとしか考えられないのに、結果として課税されるということは、反面から言えば、裁判所から「あなた方には所得はなかつた、従って本来なら所得税を課すわけにはいかない、しかし会社が法規に違反しているのであり、あなた方はその取締役なのだから、会社が法規に違反した分の負担をすべきなのだ」といわれているのだろうか、との素直な疑問を抱かざるを得ないのである。

4 なお、本件においては、仮払金名目による金員が昭和五六年五月の株主総会以前に、上告人ら各役員に支出されていることは事実であり、このことの故に或いは原審裁判所において、上告人ら各役員は既に賞与を先に受領しているのではないかとの思いを抱かれたのかも知れない。しかし、この仮払金は、既に(昭和六二年七月までの間に)本件役員賞与とは関わりなしに精算されているのである。(この点につき原審が抱いたかも知れないような誤解を解消するために実質的に吟味し検討を加えていただきたく新たに資料として甲第一二ないし二四号証を事実上添付します。)従つて、上告人ら役員各人が仮払金名目で実質的に賞与相当の所得を得ているという関係も存しないのである。

5 以上、本件の全体的な一連の流れからしても、上告人ら役員各人に実質的に所得が発生したと認定した原判決の判断は、明らかに経験則に反するのである。

裁判所としては、その判決の中で、素朴な法感情のもとに生活している国民に分り易い言葉で分り易く以上の上告人ら当事者本人の疑問と質問にはつきりとお答えいただきたいのである。

そうしていただくことが、判決の権威と信頼を保持し、国民に法を重んずることを認識させるものであり、かつてそれは国民に対する裁判所の義務であり、それはまた先般宣明された最高裁判所長官の判決書に関する訓示に沿う時代の要請であろうと思料するものである。

三 取締役会の開催とそこにおける支給決議の意味の認定に関する経験則違背

1 原判決は、昭和五七年六月一八日に現実に取締役会が開催されたと認定した。

しかし、以下のとおり、右認定判断は、明らかに経験則に反するものである。

2 まず原判決は、甲第三号証の取締役会議事録に押捺されている各印影は、アサヒトラストの他の取締役会議事録の印影と同一であり、従つて右甲第三号証の印影部分は真正なものと推認されるから、右議事録自体も真正に成立したものと推認されるとしている。そして、右議事録の記載からすると、右取締役会決議が実際に行われたものと推認するのが相当であるとしている。

要するに、原判決の右判断は、形式上議事録が存在すれば、それに対応する決議の存在が推認されるというものである。しかし、一般に日本の株式会社においては一部の大企業を除き、株主総会にせよ取締役会にせよ実際にはそれを開催せず、議事録のみ作成するということがしばしば行われている。そして、このことは、ことの当否は別としても、いわば周知の事実と言ってよい。

従つて、このような一般的実情からしても、形式上の議事録の存在から直ちにそこに記載されている決議の存在を推認することは社会一般の経験則に反するのである。

3 特に、本件では、別件訴訟における小川義寛証人調書(乙第二号証)に、本件取締役決議は存在しない旨の証言が明白に存在している。

右証言は、決議不存在の経緯、理由等の部分を含めて全体として不自然、不合理な点は何らみられない。原判決は、これを伝聞であるというだけで排除しているが、同証人の資格、立場、本件につき相談を受けていた経緯等からして、同証人の証言は十分信用できるものである。

更にこれを加えて、原審において上告人平川正信本人が、当時のアサヒトラストの本社総務本部長の職にあつたものとして、本件取締役会は開催されていない旨を具体的かつ明確に供述しているのである。

これらの点も、原判決の認定判断が経験則に反するものであることを十分に裏付けるものである。

4 次に原判決は、アサヒトラストにおいて、株主総会で役員全員に対する支給総額の決議があれば、会社の債務として確定したものであり、源泉所得税の支払義務がある、と誤信していた点について、その事実を前提として本件取締役決議が行われたとしても何ら不自然なものではないと判示している。

しかし、右の点を一連の事実の流れの中で考えるならば、右の誤信があつたが故にあえて取締役会など開催しなかつたとみるのが経験則に合致する。

即ち、アサヒトラストでは、昭和五六年五月の株主総会で総額三〇〇〇万円の役員賞与の支給が決議されたものの、業績不振や商品取引員としての純資産額維持の必要等の事情から、各役員毎の支給額の決定は見送られたままになつていた。そして、右事情は、昭和五七年六月の取締役会議事録作成時にも同様であつた。にもかかわらず、この時点で右の議事録を作成したのは、日本橋税務署から源泉所得支払いの指導を受けたことを端緒に、アサヒトラストに前記の如き誤信が存したからであつた。要するに、アサヒトラストとしては、その時点で、真実上告人ら各役員個人に賞与を支給する意思はなく、従つて正規に確定的な個人毎の支給額を決定する意思もなかつたのである。

そして、本件取締役会議事録を作成したのも、単に源泉すべき納税額算出の計算の便宜上、全く事務的且つ形式的に行なわれたのであり、上告人ら各役員各人も皆当時各々に対する賞与支給額が決定したとか、その額が支給になるとか考えてはいなかつたのである。

このように、会社として、真実支給額を決定したりそれを支給したりする意思がなく、単に全くの便宜的な事務処理的なものにすぎない事項については、あえて取締役会など開くまでのことではないのである。

言いかえれば、右の如き誤信があつたからこそ、単に書類の上だけの議事録を作成したのであり、取締役会を開かなかつたと言えるのである。この点においても、原判決の判断は、経験則に反すると言わねばならない。

5 また原判決は、源泉所得税の徴収を行うために各役員毎の支給額を決定する必要があつたのであるから、本件取締役会決議を行うについてアサヒトラストには実質的な理由があつたものと言うことができると判示している。

しかし、アサヒトラストでは、真実上告人ら役員各人毎の支給額を決定しそれを支給する意思などなかつたのである(そして、そうであるからこそ、甲第三号証の取締役会議事録にも「暫定的に配分額を決めるが未払いのままとする」と記載されているのである)。

要するに納税のため(これも前記の如く誤信に基づくものである)の便宜のためにのみ行なわれたことで、役員賞与の現実の支給という本来の意味は全くなかつたのである。そしてこのように本来的な意味における役員賞与の支給ではないからこそ、取締役会は開催されなかつたのである。

6 更に、原判決は、本件賞与支給の株主総会決議は、既に各役員に支給されていた仮払金を清算する目的で行なわれたものであるから、本来早急に各役員毎の支給額を決定して仮払金を清算する必要があつたものと言え、一時的に未払いとすべき事情があつたとしても、将来の支給を前提として各役員毎の支給額を決定することに何ら支障があつたとは解されないと判示している。

確かに、本件賞与支給の株主総会決議の目的が仮払金の清算にあつたことは事実である。

しかし、アサヒトラストとしては、帳簿上の純資産額を維持する必要性があつたため、経理上資産の部に計上されている仮払金を消すことが出来ない事情があつた。だからこそ、株主総会決議の後一年以上も、役員各人別の支給額の決定を見送つてきたのである。

従つて、本件取締役会議事録が作成された時点においても、その事情に変わりはなかつたから、各役員毎の支給額を決定してしまうわけにはいかなかつたのである(各人毎の支給額を決定すれば、その時点で、株主総会決議の目的に従い、仮払金と相殺して清算せざるを得ないからである)。

原判決は、「将来の支給を前提として各役員毎の支給額を決定することに何ら支障がない」と言うのであるが、前記のとおり本件役員賞与は将来現実に支給するのではなく仮払金と清算することを目的としていたのであるから、「将来の支給を前提とし」というのは誤りである。そして、仮払金と清算する時点で支給額を決定すべきものであり、それが出来ない事情があつたからこそ、その支給額の決定を見送つてきたわけであるから、原判決の判示するような「支給額を決定することに何ら支障がない」というのも、また明らかに誤りである。

7 以上よりすれば、原判決の本件取締役会決議が存在したとの認定は、明らかに経験則に反するものである。

8 次に仮りに、本件取締役会議事録記載の決議が存在したものと評価されるとしても、右決議の意味については、法律上上告人ら役員各人毎の債務として確定する決議であり、それによつて上告人ら役員各人に所得が発生したものとみることはできない。

この点原判決は、右議事録記載の決議の存在をもつて直ちに役員各人毎の債務の確定であり、それが即ち所得の発生であると解しているようであるが、右決議の意味内容を誤つたものであつて、明らかに経験則に反する。

即ち、この議事録によれば、

「各人別の配分額が決まらず未払いとなつたままの第二六期の益金処分役員賞与について日本橋税務署から未払の場合であつても源泉所得税を納税するようお知らせがあつたから、源泉所得税納税のため次のとおり各人別に配分額を決め納税することとするが、賞与の支給は業況が悪く純資産額も低いため未払いのままとする」

と記載されている。

ところで、前記のとおり、アサヒトラストは、右議事録作成の以前一年以上に亘つて、本件役員賞与を各人毎に配分することをしないできたのであり、その状況は、右議事録作成の前後を通じて変化はなかつた。本件議事録が作成されたのは、唯一前記の源泉所得税の納税に関する誤信があつたからにほかならない。

即ち、アサヒトラストにこの点の誤信がなかつたならば、アサヒトラストは税務当局に未だに役員各人毎の支給額が決定していないことを説明して、源泉所得税の支払いを免れたはずであり、わざわざ業績不振の折に多額の税金を支払うなどという選択をするはずがないのである。

前記のような誤信があつたからこそ、アサヒトラストとしては、源泉所得税の支払いは、やむを得ないが、賞与の支給については従前同様のままで行こうと考えたのであり、このようなことから、前記取締役会議事録には「源泉所得税納税のため暫定的に」「配分額を決め」るが、今後も「未払いのままとする」と記載されたのである。

以上よりすれば、右の如き事実関係の法律的評価としては、本件役員賞与が各人別の債務として確定していて、役員各人に具体的な所得が発生しているとみるのは相当でない。上告人ら各役員個人の認識としても、右議事録記載の配分額でもつてアサヒトラストに対し、具体的な役員賞与の請求権を取得したとは考えてもいなかったまのである。

そして、現実にも、翌五八年の三月に本件役員賞与は支払わないことになつているのであるから、この一連の流れからみても、上告人ら役員各人に実質的に所得が発生しているとは言えないのである。

原判決の判断は、余りにも形式にこだわつて実質を見ていないのであり、明らかに社会一般の経験則に反するものである。

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